こんなにも切ない気持ち

私はいらない

 

 

 

 

アシンメトリー

    I don't love you. If you were he, I would be happy.

 

 

 

 

朝練を終えて教室に入ってきた宍戸が自分の席につく。

振り返って気まずさを振り払うように声をかけた。

 

 

 

 

 

「おはよ!」

「!、お、おう…。」

 

 

 

 

 

私が振り返るなんて想像してなかったんだろう。

宍戸は驚いた表情を見せた。

 

 

 

 

 

「昨日はその……急にごめん。」

「え、やっ、あ……ああ。別にどうってことねぇし気にすんな。」

「…うん、ありがと。」

 

 

 

 

 

苦笑いを浮かべながら一時間目の用意を机の上に出す。

そんな宍戸の一連の動作を見ながら、今朝からずっと張っていた緊張の糸を少しだけ緩めた。

よかった。 それほど気まずくない。

 

 

 

 

 

!」

 

 

 

 

 

突如、教室のドアが開き、縦に長い長方形のその空間から嬉しそうに笑みを浮かべた朱チンが姿を現した。

クラスメートも私も宍戸も何事だと言わんばかりに朱チンに驚きの目を向ける。

そんな視線を気にする事なく彼女は意気揚々と私の前まで軽々とした足取りでやってきた。

 

 

 

 

 

「アラおはよ。宍戸。」

「お、おう。」

「そして!昨日私ん家に忘れてったわよ!はい、これ。」

 

 

 

 

 

そう言って渡されたのは花柄の可愛いらしい紙袋。

何だろうと首を傾げながら中を覗いてみるとそこには昨日私が朱チンの家で乾かしていた服一式が綺麗に畳まれて入っていた。

あ、私ってば服持って帰ってなかったんだ。

 

 

 

 

 

「アンタ私の服着て帰ったんだからちゃんと返してよ?」

「はいはい明日返しますー。今家で洗濯して乾かしてんの。」

「そ。ならいいけど。」

 

 

 

 

 

去り際にちらりと宍戸を盗み見て朱チンは満足そうな笑みを浮かべながら自分の席へと戻っていった。

あれはきっと昨日の話を思い出して一人で何か企んでる顔だ。

絶対そうだ! 何かヤな感じ…。

きっと昨日私が答えられなかったから、

 

 

 

 

 

『ほーらね!』

『な、何よ!!』

『正直じゃないなーは。』

『だから何の話!?』

『まあ任せて!私に不可能はない!』

『だから何が何なの!?勝手に話終わらせないでよ!』

 

 

 

 

 

ま、まさかもう何か手を打ったとか!?

朱チンは最近つまんないばっかり連呼してたから私という新しい玩具を見つけて遊んでるんだ。

行動派な朱チンだからきっと何かいろいろしてくるに違いない。

だとしたら最悪。 本当に最悪だ。

何てったって朱チンは宍戸先輩の元・後輩だったんだから。

 

宍戸先輩が卒業したと同時に朱チンと先輩が所属していた軽音部は廃部になった。

もともと部員数が少なかった上に先輩達の卒業。

部員数も足りず、顧問も退職となり軽音部はなくなり朱チンは私と同じ帰宅部となった。

当時、あまり宍戸先輩とは関わりがなかった朱チンだけど少なくとも私よりは宍戸先輩と朱チンは繋がってる。

卒業してしまってもう全くの他人になってしまった今だけど、確かに朱チンは宍戸先輩に連絡を取るぐらいは可能なのだ。

 

な、何もしてなければいいけど…。

この私の根も葉も無い心配が悲しくも杞憂に終わることは決してなかった。

 

 

 

 

 

ちゃーん。」

 

 

 

 

 

放課後。

朱チンがニヤニヤしながら鞄を持って私の前に現れる。

 

 

 

 

 

「何その顔、気持ち悪い。」

「うるさい、早く帰る用意して。人待たせてあるから。」

「はあ!?」

 

 

 

 

 

私の鞄を机の上に放り投げると勝手に中身を詰め込んで私に無理矢理持たせる。

 

 

 

 

 

「し、し、ど、先輩だよ!宍戸先輩!」

「ちょ、え、ええ!?」

「私が本気出せば宍戸先輩なんて簡単に呼び出すことができるのでーす!」

 

 

 

 

 

何を言っているんだこの子は!

私がいつ頼んだよおい!

生き生きした朱チンの隣で私はこれでもかというくらい顔を引き攣らせてまだ帰っていない生徒で賑わう廊下を重い足取りで歩いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

やっべー。

今日部活間に合わねえかもしんね。

何で俺がわざわざ古い資料なんかを焼却炉に捨てに行かなきゃなんねえんだよ!

あークソクソ!

こんなことになるなら遅刻なんかしなけりゃよかったぜ。

 

焼却炉までの道程で一番手っ取り早い近道を行くと必ず通る校門前。

そこにはもう随分と見慣れた顔があった。

 

 

 

 

 

「あ、宍戸の兄ちゃんだ!」

「おっす岳人!」

 

 

 

 

 

爽やかに片手を上げる。

つられて俺も手を振った。

 

 

 

 

 

「何してんの!?あ、宍戸呼んでこようか!?」

「いや、いい。今日は亮に用があるわけじゃないから。」

「え、そうなの?それにしても宍戸の兄ちゃんと会うのなんて久しぶりだよな!へへ、元気してた?」

「あったりめえよー。それより岳人、お前何その荷物は。」

 

 

 

 

 

宍戸の兄ちゃんは俺の手の中に抱えられた溢れんばかりの色褪せた資料を見て笑った。

あ、そうだ俺焼却炉に向かってたんだった。

すっかり忘れてたぜ。

 

 

 

 

 

「あ、宍戸先輩!」

 

 

 

 

 

女の声がして振り返る。

そこには二人の女の子がこっちに向かって歩いて来ていた。

この二人が宍戸の兄ちゃんの待ち人だろうか。

あれ、でもあの左にいるのって確か…

 

 

 

 

 

「や、朱音ちゃんにちゃん。」

「!」

 

 

 

 

 

一瞬左の女、(だっけ?)の肩がビクリと跳ね、驚いたように目が見開いた。

何でそんな怯えたような顔してんだよ。

そりゃ宍戸の兄ちゃんぱっと見は怖ぇけど…。

はしばらくすると怖ず怖ずした態度で震えるような声で呟いた。

 

 

 

 

 

「名前…」

「名前?」

「…知ってたんですか?」

 

 

 

 

 

宍戸の兄ちゃんがあーと言いながら頭を掻き、不自然にも視線を泳がす。

兄弟揃って隠すの下手だな。

動揺しまくりじゃん。

 

 

 

 

 

「ま、まあな!それよりもさ、行こうぜ屋上!」

「あ、私ちゃんと屋上の鍵借りてきました!」

「おー偉い偉い!」

 

 

 

 

 

満面の笑みで鍵をぷらぷらとぶら下げる右の女の頭を撫でる。

へー、話題変換は弟より優れてんだ。

宍戸なら言葉噛みまくって結局逆切れして喧嘩とかになりそうだもんな。

その分やっぱこの人はお兄ちゃんなんだ。

 

 

 

 

 

「屋上で何するの?」

 

 

 

 

 

何も聞かされてなかったのだろうか、は疑い深い表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

「それは行ってからのお楽しみ!」

「たいしたことじゃねえけどな。そんじゃ、行きますか。」

 

 

 

 

 

宍戸の兄ちゃんは肩にかけていた鞄を担ぎなおして校内へと歩き出した。

そのあとを二人はせっせと小走りでついていく。

て、おいおい。 俺にお別れの言葉もなしかよ。

と呆気に取られていたら突然振り返って宍戸の兄ちゃんは「またな岳人ー!」と手をひらひら振ってくれた。

…ま、いっか。

 

 

 

 

 

「そういや俺、焼却炉に行く最中だったんだっけ?」

 

 

 

 

 

抱えている資料が重すぎて手がちぎれそうに痛い。

さっさと捨てにいかなきゃな。 油売ってる場合じゃなかった。

そうと決まれば再び歩みを進める。

そのまま校門を横切って、焼却炉はすぐだ。

それにしても宍戸の兄ちゃんかー。

会ったのなんてどれくらい久しぶりなんだろう。

 

 

 

 

 

「おい向日。遅刻とはいい身分だな。」

「ゲッ!跡部!」

「早くコートに入れ。アップは忘れるなよ。」

「はいはいわかってるって!」

「フンッ、はいは一回でいい。」

 

 

 

 

 

部室に入るとすぐそこに跡部がいて、鼻で笑うとラケットで肩を叩きながらコートへと向かって行った。

俺がサボりで遅刻したわけじゃないことは気付いているらしい。

だって何も聞いてこなかったし。

なのに何で俺こんなビクビクしなきゃなんねぇんだよ。 跡部のあの威圧感に弱いんだよなー俺。

そんな跡部と入れ代わりのように誰かが部室へと入ってくる。

振り返ればそこにはさっきも見たような奴が一人、ラケットを取り替えに来たのか、鞄の中を漁っていた。

 

 

 

 

 

「宍戸だ。」

「ああ?何だよ急に。」

「や、さっきお前の兄ちゃんと会ったからさ。今度は弟だーみたいな?」

「兄貴が?いたのか?ここに?」

「うん。」

 

 

 

 

 

ものすごく動揺している宍戸を見ると何だか言ってはいけなかったのかという気分になる。

ちょっと心配して「どうかした?」って尋ねてみたら「何でもねえ。」って視線を逸らされた。

明らかに何かあるじゃん。

本当コイツわかりやすい奴だよなー。

なんて思いながらふと、さっき宍戸の兄ちゃんと一緒にいた女子二人のことを思い出す。

あ、そういえば…

 

 

 

 

 

だっけ?その子と屋上行くみたいだったけど…何なんだろうな。」

?」

 

 

 

 

 

の名前を出すと宍戸は目を見開いて振り返った。

わかりやす……じゃなくて、宍戸はこれ以上ないってくらい顔をしかめてまたラケットを鞄にしまった。

 

 

 

 

 

「………。」

「…行けばいいんじゃね?心配なんだろ?」

「なッ!」

 

 

 

 

 

顔を真っ赤にして振り返る。

口をパクパクさせながら首を横に振った。

 

 

 

 

 

「ん、んなわけねえだろ!?」

「んなわけあるじゃん。」

「ねえっつってんだろ!?そんなんじゃねぇし!!」

「あのなー宍戸。俺らレギュラーはみんなお前が誰を好きでその子が誰を好きかなんてずっと前からわかってんだっつーの。」

「!?」

 

 

 

 

 

そう。それは言われなくちゃ気付かなかった複雑で、今時珍しいくらいに純な恋。

あの日、もどかしすぎるくらいに初な二人を見ていたのが俺と侑士だった。

勘違いから生まれたすれ違いの恋。

それは当たり前のように叶う事はなく今日までの日々が過ぎてしまった。

 

 

 

 

 

「ちゃんとハッキリ言えばいいじゃん。あの時の宍戸は俺だって。」

「ッ、そんなこと、今更言ったってどうしようもねえだろ!?」

「じゃあいつまで経ってもアイツ、勘違いしたまんまだぜ?いいのかよ。」

「…それは……!」

 

 

 

 

 

――― 桜が舞う入学式の朝。

                二人は出会った。

 

 

 

 

 

『ち、遅刻した!』

 

 

 

 

 

振り返るとそこには寝癖を押さえながら小走りに門を駆け抜ける初々しさ溢れる女の子。

その大きな瞳は涙で潤んでいる。

もう他の新入生は体育館に集まっているのだろう。

桜満開の校庭には自分と同じ新入生は誰ひとりとして見当たらなかった。

ただちらほらと在校生が歩いているだけ。

この大きな氷帝という名の学校はだだっ広く、体育館が何処かすら今混乱している頭では探し出すことすら困難だった。

 

 

 

 

 

『体育館はそっちじゃなくて左だぜ。』

『え!?』

 

 

 

 

 

急に声が聞こえたかと思えば周りに人はいない。

しばらく桜の木の下で首を傾げていると頭の上に何かが落ちてきた。

咄嗟に顔を上にあげると、逆光であまりよく見えなかったがそこには確かに人がいた。

 

 

 

 

 

『…テニスボール?』

『それ俺の。悪ぃな。投げてくれ。』

『あ、えっと…はい!』

『サンキュ。』

 

 

 

 

 

転がったボールを拾って上へ軽く投げると男の子はテニスボールを掴んだ。

 

 

 

 

 

(サボりかな?あ、でも年上だよね?)

 

 

 

 

 

体育館の場所も知っていて尚且つこの落ち着いた態度。

はこの男の子を上級生と理解した。

 

 

 

 

 

『あ、ありがとうございました!』

『そこ真っ直ぐ行って左に曲がると看板立ってっからわかると思う。』

『はいわかりました!親切にありがとうございます!では!』

『おー。』

 

 

 

 

 

さっきまでは泣きそうな顔をしていたは嬉しそうに頭をぺこりと下げてまた小走りに言われた方向へと走って行った。

その背中を上から眺めながらテニスボールを投げて遊んでいると、下から岳人の笑う声がした。

 

 

 

 

 

『あー宍戸ってばこんなところにいたー!』

『!、お前らもサボリかよ岳人、忍足。』

『入学式はかったるいわ。何で朝からオッサンのしゃべくり聞いとかなあかんねん。肩凝るわ。』

 

 

 

 

 

二人が言うには屋上でサボっていたところを見回りの先生に見つかって体育館へ行くように言われ、

歩いていたら木に向かって喋ってる女の子を見かけてここに来たらしい。

正しくは木に向かってではなく木の上にいる宍戸に向かって、なのだが。

 

 

 

 

 

『それよりも宍戸さ、何で木の上なんかにいるわけ?』

『あー?兄貴がさ、入学式は屋上とか裏庭だと見回りの先生に見つかるからってここ教えてくれたんだ。』

『おい!それ早く言えよ!』

『兄貴おるとそうゆうの便利やんなー。羨ましいわ。』

 

 

 

 

 

宍戸は軽々と木から飛び降りると二人の前に立つ。

ここで一人でサボるのも悪くはないが、見つかってしまった以上は仕方なく二人を別のサボリスポットへと連れていくことにした。

そこで適当に馬鹿をやりながら時間を潰し、そして入学式が終わってみんなそれぞれ振り分けられた自分の教室へと向かう。

そんな中、さっきの女の子が友達と嬉しそうに喋っているのが目に入った。

 

 

 

 

 

『でね!その先輩が私を…』

 

 

 

 

 

自然と耳を澄ましてその会話を聞いていた。

聞こえてくるのはさっきの出来事であろう宍戸との話。

だけどはあの木の上にいたのが先輩だと思い込んでいるため、自分と噛み合わない内容に宍戸は首を傾げた。

 

 

 

 

 

『最後にね!宍戸って名前が聞こえたの!』

『え、じゃあそれってあれじゃない?』

『あれ?』

『ほら、私春休みから部活に顔出してるでしょ?軽音に宍戸先輩っていう結構男前な先輩がいるのよ。それじゃない?』

『へー宍戸先輩かー!』

 

 

 

 

 

そう。彼女の目に映っていたのは自分であって自分じゃなかった。

 

と同じクラスになった忍足は一度だけ宍戸とを交互に見遣ると『ドンマイ』とだけ告げて教室へと入って行ってしまった。

何だかスッキリしない。 胸に残る蟠り。

 

この日からずっと二人はすれ違っていた。

二人の想いは平行線。

 

 

 

 

 

しかしこの気持ちが恋なのだと気付いたのは、卒業式の日にが桜の木の下でそっと泣いていたのを見てしまった時だった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

2007.05.14 執筆 2009.0924 加筆修正