こんなにも切ない気持ち

私はいらない

 

 

 

 

アシンメトリー

    I don't love you. If you were he, I would be happy.

 

 

 

 

二年前のこの季節に私と君はこの場所で巡り会った。

今でははっきりあの姿が君と重なるよ。

たくさん遠回りしたけど、これでよかったんだと今ではそう思う。

 

 

 

 

 

「失礼しまーす!」

 

 

 

 

 

何度か軽くノックして部室の中へと入る。

そこには部活を終えたばかりのテニス部員がクラス替えのことについて盛り上がっていた。

 

 

 

 

 

今は四月、春だ。

私達も気が付けば、もう高校三年生となってしまった。

明日は新学期が始まる、そんな昼下がりにテニス部は今日も張り切って練習していた。

部長は中学同様、跡部景吾に。

今まで準レギュラーだった宍戸も、念願のレギュラー入りを果たしたというわけだ。

あ、忍足君もだった。

 

 

 

 

 

「だーかーらー俺はジローと同じクラスにだけはなりたくねぇんだって!」

「ヒッド宍戸!!中二中三高一の三年間同じだったじゃん!」

「だからだよ!お前その三年間で何回俺に迷惑かけたんだっつーの!」

「え、四回?」

「ふざけんな!指折り数えれる程度じゃねぇよボケ!」

 

 

 

 

 

部室の中では宍戸と芥川慈郎がキャンキャン吠えていて、私の存在なんかちっとも気付いていなかった。

ちょっと寂しくなって肩を落としていると、それに気付いた忍足君が私のもとへと歩いてきてくれた。

やっぱりこういう時は忍足君だね。 ダメだ宍戸は。

 

 

 

 

 

「宍戸ー可愛い可愛い彼女さんがお迎えにきはったでぇ〜。」

「あ、!」

 

 

 

 

 

冷やかすような忍足君の呼びかけにすぐさま反応を示して振り返る。

そんな宍戸の頬は微かに赤みを帯びていた。

まだ、彼女と呼ばれる私の存在に慣れていないようだ。

 

 

 

 

 

すぐ行くから外で待ってろと言われて大人しく部室を出て行った。

その時ドアの隙間から向日岳人や忍足君、芥川慈郎にからかわれている姿が目に入った。

何の話をしているのだろうか。などと思いながら部室から少し離れた宍戸と初めて出会ったあの桜の木の下まで歩く。

 

 

 

 

 

桜は二年前より満開で、あの時よりもずっと綺麗だと思うのはきっと、私の気持ちが晴々しているからなのだろう。

ふと、誰かが近寄ってくる気配がして振り返った。

そこにいたのは待ち人の宍戸ではなく、ラケットを握り、まだジャージを着たままの跡部君だった。

 

 

 

 

 

「よう、勘違い娘。」

「こんにちは、性悪部長さん。」

 

 

 

 

 

二人はただ睨み合って、そのすごい威圧感に意地でも負けるものかと私はその場に踏ん張った。

すると可笑しそうに鼻で笑った跡部君はラケットを肩に担いで私に背を向けた。

 

 

 

 

 

「ま、せいぜい捨てられないように頑張るこったな。」

「…うるさいなぁ。捨てられないよ。」

「お前らが今幸せでいられるのは俺様のおかげなんだからな。忘れるなよ。」

「はいはい、自意識過剰さんはいつまでもそう思ってるといいよ。」

「ほう、そんな口が聞けるほどまで立ち直ったのかお前は…。」

 

 

 

 

 

ちょうど跡部の向こう側に部室から出てきた制服姿の宍戸が見えた。

少しキョロキョロ辺りを見回したあと、こちらに向かって歩いてくる。

跡部が一度、私に振り返った。

 

 

 

 

 

「あの時のお礼は……そうだな。お前らがもっと先まで続いてたらもらうとでもするかな。」

 

 

 

 

 

それだけ言い残すとすたすたと歩き出して部室へと向かっていった。

途中で擦れ違う宍戸と何か言葉を交わした後、入れ替わりのように宍戸が私がいる桜の木の下へとやってくる。

あの時のことを思い出すようで、少し胸が高鳴った。

私は桜の、この木の下で、君と…―――――

 

 

 

 

 

「悪ぃな!待たせちまった。」

「いえいえ、いつものことですから。」

「…おい、こういう時って普通『そんなことないよ』って言うもんだろ。」

「やだ、宍戸君は何を私に期待してるのさ。私そんなキャラじゃないし。」

「まあな。それもそうか。」

「……ちょっと、否定してくれないの?」

 

 

 

 

 

二人、帰路を歩く。

長く長く続くその道を、今は仲良く二人で笑い合いながら。

だけど君との微妙な距離が、少し手を掠めてまた高鳴る鼓動。

 

 

 

 

 

「今日、家くるだろ?」

「うん。明日提出の春休みの宿題を写させてほしいんでしょ?」

「おう、サンキュ。助かる!」

「で、何の教科やってないの?」

「え?全部だけど?」

 

 

 

 

 

手を繋いで帰る君の家。

以前はここで私は逃げ出した。

苦しくて、どうしたらいいのかわからなくて。

ただその場にいたくなくて逃げ出した。

 

 

 

 

 

「は!?ちょっと、なんで何もやってないの!?」

「俺今回レギュラーとるのに必死で宿題どころじゃなかったんだって。」

「威張ることじゃないでしょ!?ってか今日一日で写せるの!?」

「……頼む!!」

「はあああああ!!?」

 

 

 

 

 

玄関のドアノブを回す。

簡単に開いたそのドアは、小さく音を立てて宍戸の家の中を露にした。

一度だけ見たことのあるそこは、ちっとも変わってなくて。

 

 

 

 

 

「おかえり亮!」

「……兄貴、何て格好してんだよ!!服着ろよ服を!!」

 

 

 

 

 

あの時と同じようにあの人も姿を現した。

 

 

 

 

 

「いらっしゃい、ちゃん!」

「…お邪魔します。」

 

 

 

 

 

何でだろう。

あの日入ることのできなかったこの玄関に、今日はすんなりと足を踏み入れることができる。

宍戸と繋いだ手に、力が篭った。

大丈夫。そう言い聞かせて上半身裸の先輩の隣を通り過ぎた。

 

 

 

 

 

「ちょっと待ってて。今何か入れてくるわ。」

「私オレンジね。絶対ね。」

「はいはい、相変わらず我が侭だな。お前。」

 

 

 

 

 

部屋に入って真ん中にあるテーブルの横にちょこんと座って宍戸が部屋を出て行くのを目で追った。

パタンとドアが閉まってすぐに階段を下りる足音が聞こえる。

はあ、と小さく溜め息を吐くと何故かドアがまた開いた。

 

 

 

 

 

「よ!」

「!、先輩?どうしたんですか?」

 

 

 

 

 

そこに現れたのは宍戸先輩。

今度は服を着てはいるものの、笑顔で部屋へと入ってきて私の隣に腰を下ろした。

な、何で!!!?

 

 

 

 

 

「やだな、先輩じゃなくてお兄ちゃんって呼んでくれればいいのに…。」

「は?」

「や、亮と付き合ってんだろ?だったら俺、将来ちゃんのお兄ちゃんになるわけだし。」

 

 

 

 

 

それもそうだけど、とか思いながらちょっと宍戸とキャラが違いすぎる、隣で真剣な顔つきをしている先輩に冷ややかな視線を送る。

先輩は全く気づいていない様子だったけど、それはそれでまあいっかと思わず笑ってしまった。

するとキョトンとした表情の先輩とばっちり目が合う。 一瞬にして思わず顔が引き攣った。

 

 

 

 

 

「何ですか?」

「え、や……ちゃん柔らかく笑うようになったなーって。」

「え?」

ちゃん俺の前だとちっとも笑わなかったから。」

 

 

 

 

 

言われてみればそうかもしれない。

私はいつも先輩と一緒にいるのが嫌で、苦しくて、避け続けていたから。

笑ったことなんてなかったかもしれない。

最後、あの日に一度だけ。

あの一度だけしか笑ったことがなかったんだ。

 

 

 

 

 

先輩は目を瞬かせている私を見つめると、小さく笑った。

部屋の外では、階段の上る足音が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

「亮のこと、よろしくな。」

 

 

 

 

 

先輩は立ち上がると、部屋を出て行った。

部屋の外で何か喋っている声が聞こえる。

篭っていて聞き取りにくい雑音のようなその声に、私は耳を傾けながらこれからするであろう宿題の束を鞄から取り出した。

 

 

 

 

 

。」

「あ、オレンジ?」

「おう、何でか知らねえけど冷蔵庫に入ってた。」

「やった!じゃあ宿題やろうか!」

 

 

 

 

 

部屋に入ってきた宍戸はオレンジが入ったコップが二個置かれたお盆をテーブルの上に置くと、

机の上から山積みになった宿題を手に取り、私の向かいに座った。

ちらりと視線を宍戸に向けてやると、案の定、少し目が泳いでいる。

私は小さく息を吐いて口元を綻ばせると宍戸の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

「大好きだよ、亮。」

 

 

 

 

 

目を見開いた宍戸……いや、亮の顔はみるみるうちに赤くなっていって、

照れを隠すように私から視線をそらしてそっぽを向いた。

だけど亮の表情に不安げな色は消えていて、どこか嬉しそうだった。

そんな亮を見てると、私まで嬉しくなってくる。

 

 

 

 

 

「もう大丈夫だから。心配しないで。」

「………わかってる。」

「ほら!だったらさっさと写しなさいよ!間に合わないよ!」

「へいへい。」

 

 

 

 

 

まだ少し頬が赤い亮の隣まで行って容赦なく宿題の束を置いてやる。

亮は人指しゆびで頬を掻きながらぶっきら棒に返事を返してシャーペンを握った。

 

 

 

 

 

。」

「ん?」

 

 

 

 

 

振り返る。

唇に触れるかすかな熱に、

私は思わず目を見開いた。

 

 

 

 

 

熱い。

熱い。

熱い。

 

 

 

 

 

赤かった亮の熱が私にまで伝染して私の頬を赤く染めた。

不意打ちのキスは、私の心拍数を上げるのには十分すぎるもので。

私は口をぱくぱくさせながら亮を見つめることしかできなかった。

再び照れくさそうに視線をそらした亮は私から離れると、私の手を握って私の目に視線を戻した。

 

 

 

 

 

「俺だって好きだから。ずっとな。」

 

 

 

 

 

あの時、桜は綺麗に咲いていた。

 

私は君が誰なのかわからなかった。

 

だから私は、君にそっくりな君のお兄さんを好きになった。

 

だけど遠回りをして再び君の元へと戻ってきた。

 

 

 

 

 

辛かった。

 

切なかった。

 

胸が、張り裂けそうに痛かった。

 

 

 

 

 

たくさんの人の助言によって、私は今ここにいる。

 

この幸せがいつまで続くのかなんて私には分からないけれど。

 

ただ願わくは、ずっと続けばいいと思う。

 

 

 

 

 

好き。

 

大好きだよ、亮。

 

もう、間違うことなんてない。

 

 

 

 

 

「当たり前じゃん、バーカ。」

 

 

 

 

 

気がつけば私の中にはこんなにも君が存在しているんだから…――――――

 

 

 

 

 

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2007.07.06 執筆 2009.09.25 加筆修正

今思えばもう二年も前に書いた小説だったのですね。

今回少し加筆修正し、見事復活いたしました。

お付き合いいただきありがとうございました。