さよならソングは涙色 21
今もまだ好きだよ 好きなんだ 君が、好き
君が隣にいない事が こんなにも切ないなら
二人出逢わなければ 何度も思っては俯いて
いつだって目を閉じ浮かぶのは 君の笑顔と優しい手のひら
“前を向かなきゃ” わかっているけど
やっぱり君といたあの日々は消したくない 忘れられなくて
矛盾した想いに足をとられ 今もまだコノ場所から動けない
誰も居ない隣 今ではもう当たり前の毎日で
君の面影を思い出すたび 高鳴る鼓動
優しい口付け 初めて重なったあの日
目が合った瞬間 照れたようにお互い笑ったね
そんな儚い想い出 背負っているのは僕だけなのかな
君はもう新しい道を歩んで 僕じゃない誰かの隣で笑っているの?
嫌だよ いやだ
君のために流す涙 枯れ果てその意味も忘れた
名前も何も知らなかったあの頃
何も知らずに笑えたあの頃
戻れたのなら どれほど幸せなんだろう
叶わない願い 何度願ったって君はもうここに居ない
たとえ君が僕のモノでなくったって 僕はまだ…
「君が好き、でいさせてよ。」
迷惑だなんて思わないで。
私にとっての初恋は、きっと君のはずだから。
「何だ、キスしてほしいのか?」
ああ、どうしてこんな事になっているんだろう。
くらくらする。 頭が、重い。
(もう、ダメだ…。)
事の始まりは、最初の最初からだったんだ。
「きゃー人いっぱーい!!」
テンション上がる上がる。
自称「祭、浴衣大好き!」という杏璃に着せてもらった浴衣を身に纏った私達三人はスキップに近い足取りで声を上げた。
今日は待ちに待った、祭。 祭。 祭!
これから何をしようか、胸が躍る。 あーいっぱい食べたいなー。
「ねぇ咲、いいの?」
「いいのいいの、行こう。」
杏璃の友達、咲ちゃんが携帯を閉じて、ニッコリ笑う。
反対に、杏璃は心配そうな顔を浮かべる。
さっき電車内で聞いた話では、咲ちゃんは先月彼氏に振られたばかりだそうだ。
だけどそんな咲ちゃんに目をつけている経済学部の男が今日、一緒に祭行かない?って言ってきた、らしい。
「失恋には新しい恋をって言うし、試しに一緒に祭でも行ってみたらいいじゃん。」
「…悪い人ではないんだけど……やっぱりね。」
「そんなんじゃいつまで経ってもそのままだよ? 今日は私達もいるんだから、友達として一緒に回ったらどう?」
「えーでも、」
「だって別にいいでしょ? ほら、この前食堂で喋ったあの三人組の中の一人なんだ、咲狙ってるの。」
「あーあの人達ね。 別に、咲ちゃんがいいなら私は誰がいようが別に何でもいいよ。」
先日、食堂でご飯を食べていたら杏璃に話しかけてきた変な三人組。
一人はちょっと小柄な人で、もう一人は超ナルシストな結構男前路線の人。 あ、でも全く私のタイプではなかった。
そして最後の一人は、優しくてモテるけど、恋愛に深入りできないから長く続いたことがないって言う人だった。 見掛けは、眼鏡?
「…侑士君、今日景吾君と岳人君とこのお祭来てるらしいの。」
「へーじゃあちょうどいいじゃん。 三対三で。 一対一になりたかったら私達は遠慮するけど?」
「い、いい! 一緒にいて!」
「はいはい、じゃあ決まりね。 連絡しなさいよ。」
杏璃に促され、咲ちゃんは渋々連絡を取って、近くの百貨店前での待ち合わせ。
先に着いたのは私達で、後から例の三人組がやって来た。
ちなみに、咲ちゃんを狙っているという男は、侑士君と言った見掛けが眼鏡の人だった。
へーでも今日は眼鏡かけてないや。 かけてないと、意外と男前路線だ。
「んじゃ、適当に回るか。」
仕切りだしたのは、本人自覚済みのナルシストの景吾君だった。
聞けば彼らは全員、経済学部ならしい。
中学や高校も同じ出身ならしく、結構仲が良さげだった。
しばらく、侑士君と咲ちゃんを二人で歩かせ、私達は先を歩く。
四人でべらべらどうでもいい事を話していたけれど、気が付けば私と景吾君、杏璃と岳人君が話している形になっていた。
景吾君はすっごくドエスで、私のことを貶しては自分の事をすごく褒め称えて満足していた。 何なんだこの人。 失礼だな。
それでも文句を言えないのは、フランクフルトやカキ氷など、ちょくちょく食べる出店のお金は全て景吾君が払ってくれているからだ。
ちらっと見えた財布の中に大金入っていたことは、見なかったことにする。 すっげー、金持ちなのかな?
そんなこんなで、あっという間に一周回っていた。
「足痛ーい。 もう疲れたー。」
そう言って、音を上げたのは私だけではない。 下駄は足が痛くなるんだ。
杏璃も疲れているようで、私達二人はどこかに座りたいと男共に抗議する。
景吾君は呆れた表情を浮かべて辺りを見回した。
「どっかで飯でも食うか。 でも今の時間、空いてる店は少ねぇしな。」
「ちょうど晩飯時やもんなー。 それにこの人の多いところじゃ、探すの大変やで。」
「何食べたい?とか聞いてたらたぶん決まんねぇだろうから、空いてる店があったら入る、ってことでよくね?」
「うん、それでいいよ。 とにかく座りたいし。」
岳人君が出した提案にみんな異論はないらしく、今度は店探しのために私達は歩き始めた。
すると、鞄に入れておいた携帯がピーピーと音を奏でる。
慌てて五人の一番後ろを歩くとにし、私はこっそりと携帯を開いた。
「あ、丸井君…」
メールの相手は、丸井ブン太だった。 内容は簡単なこと。 「楽しんでる?」って感じのもの。
そういえば浴衣の写真送ってないなっていうことに気が付いたが、写真自体を撮っていなかったので送るに送れない。
今撮っても外は真っ暗だし、着崩れしだした浴衣姿を送るのは気が引けたので、仕方がないから送らない事に決めた。
心の中で、ごめんね、と呟いてみる。 伝わらないけど。
「、ここでいいだろ?」
「え? あ、うん。 どこでもいいよー。」
顔を上げれば、みんながこっちを向いていた。 おっといけない。
メール返信画面を開いたまま、携帯を閉じて鞄にしまった。
景吾君が私に確認を取ると、店の中へと入っていく。 店は、どこにでもよくある居酒屋だった。
「かんぱーい!!」
合わさる六つのグラス。
かちんかちんと鳴って、一番遠い斜め向かいに座る岳人君はほぼ一気飲み。
おおーっと感心していたら、喉が渇いていたのか、隣に座っていた杏璃も一気にグラスを飲み干した。
「あー喉カラカラだったんだよねー!」
「だからって空きっ腹にお酒一気は…」
「そういうだってもうグラス半分もないやんか。」
「うう゛、」
そうだ、私も喉が渇いていた一人。 侑士君に指摘され、肩を竦める。
途中までごくごくと飲んでいたのだけれど、空きっ腹だったことに気が付き、半分の所で手を止めた。
何しろ、私はお酒に弱い。
カクテル辺りしか飲めないのに、何故だか四杯目を過ぎればもう理性が利かなくなるからどうしようもない。
以前、調子に乗って空きっ腹で飲んだ時、頭痛のあまり途中でトイレで吐いた記憶もあったりする。
だから空きっ腹は絶対ダメだって自分で自分を制御しているのだ。 だって頭痛は本当に辛いから。
「そーれにしても、マジ疲れたよなー。」
「岳人ははしゃぎ過ぎなんや。」
「バッカ、祭ではしゃがない奴がどこにいんだよ! なー杏璃!」
「当然っしょ! 祭でテンション上がらない奴の気が知れないわ!」
「ほら見ろ!」
ふふん、と得意げな顔を隣の席の侑士君に向ける。 侑士君は特に気にせず「はいはい」と受け流していた。
さすが、長年付き合ってきただけあって、扱いを知っているようだ。 感心しちゃう。
杏璃も杏璃で、いつもなら「別に」とか言いそうなのに根っからの祭好きだからか、岳人君の意見に賛成していた。
「咲ちゃん、大丈夫? 疲れてそうだけど。」
「うん大丈夫。 眠たいだけだから。」
「咲眠たいんか? 寝てもええでー俺が送ってったるから。」
「え、いや…いいよ。 大丈夫だし。」
「何や連れへんなー。 ま、マジで疲れてるんやったらほんまに寝てもええからな。」
「あ、うんありがとう。」
私の向かいに座る咲ちゃんに話しかけると、その会話に咲ちゃんの隣に座る侑士君が入ってくる。
そういえば、ちゃっかり咲ちゃんの隣キープしてるんだね。 さすが、スゴイや。
席の配置は咲ちゃん、侑士君、岳人君。 その向かい合わせで私、杏璃、景吾君だった。
向かいの咲ちゃんは本当にお疲れのようで、口数も随分と減ってほとんど無口に近くなっていた。 少し、心配だ。
「やーんここ電波なーい!」
携帯を開いて声を上げるのは、杏璃。
携帯をブンブン振ってみても、どうやら電波は快復しなかったらしい。
膨れっ面をして、携帯を机の上に放り投げた。 あ、こらこら。
「蔵にメールしようと思ったのにー!」
「蔵って、彼氏か?」
「そうだよ! すっごくカッコイイんだから!」
「ほう、どんな奴なんだ?」
「えっとねー、一個上でねーそれでねぇー、」
杏璃の彼氏の話に景吾君が食いついてきて、杏璃はお酒が入っている事もあり、上機嫌で彼氏の惚気を話し出す。
それを聞き流しながら、私も携帯をそっと開いてこっそりと見てみる。
(あ、ホントだ。 電波ないや。)
仕方ないと、作成中だったメールを消し、携帯を閉じる。
丸井ブン太への返信は、この店を出てからにすることにしよう。
携帯を机の上に置いたのと同時に、隣の杏璃からにゅっと携帯を差し出された。
「これ見て!」と言われたので、言われた通りに覗き見る。 画面は、プリクラ画像だった。
「景吾君が最近別れた彼女なんだってー! 超美人!」
「へー何で別れたの?」
「別に、ただ飽きてきたから、それだけだ。」
「何ソレー彼女可哀想だよ! っていうかこんなに美人なのにもったいなーい!!」
「ほっとけ。」
グラス四杯目の杏璃は、相当テンションが上がっているようで、机をバシバシ叩きながらそう叫ぶ。
私も三杯目のカクテルを飲み干し、店員を呼んだ。 次は、何にしよう。 ジントニックにでもしようか。
「、俺の分も頼め。」
「何飲むの?」
「赤ワイン。」
「ワインー? 他頼む人いない?」
「俺俺ー! 俺芋焼酎!」
手を挙げ元気に答えてくれた岳人君の注文から店員に伝える。
続いて景吾君の赤ワインを伝え、私の分のジントニックを伝えた。
段々出来上がってきている私達を見て、店員は苦笑いを浮かべながら厨房へと戻っていった。
視線を再び彼らに戻すと、何やら杏璃と景吾君が言い争っていた。
何だ何だ?と虚ろになってきた目を二人に向ける。
「ヤダ! 私は蔵一筋なのー!」
「アーン、そんな男のどこがいいんだよ。 俺様のほうがいいに決まってんだろ?」
「やーだー蔵が一番好きなのー!」
「とか言うけどな、俺様の方がテクいんだぜ?」
「きゃー何言ってんの!? テクいって何がよ!」
「決まってんじゃねぇか。 俺様と一晩過ごせば誰だって俺様がいいって言い出すんだよ。 もちろん杏璃、お前もだ。」
「バカじゃん! 景吾君どんだけナルシストー!?」
キャハハハーと大口を開けて笑う杏璃。 景吾君は自信満々の不敵な笑みでそんな杏璃を見つめていた。
一体大声で何ていう会話をしているんだ、この二人は。
そんな二人を横目見ながら、店員が運んできたジントニックを飲む。 ぐえっ。
「まず…。」
「アーン、。 お前何してんだよ。」
「私ジントニック口に合わない。 もういりません。」
ぐいっとグラスを真ん中へと追いやる。 そんな私を見て、景吾君が素早く口を挟んだ。
ええい、勿体無いことをしているのは自覚済みだ。 でもジントニックはどうも口に合わなかったらしい。
新しいドリンクを持ってきてもらおうと、メニューを広げてもう一度店員を呼んだ。
「ったく、仕方ねぇな。」
次はちゃんと飲めるカシスオレンジで、と店員に伝えて視線を戻すと、
さっき私が残したジントニックのグラスを景吾君が手にとって一気に飲み干した。
おお、すげ! ありがたい! そう思ったのも束の間。
「、お前は蔵って男より俺様のほうがいい男だと思うだろ?」
「は?」
「、気にせんとき。 跡部は何でも自分が一番やないと気が済まん男なんや。」
「杏璃が絶対蔵っていう彼氏がいいって言い切るから、跡部のプライドに火が点いたんだよ。 ったく、バカじゃねぇの?」
ああ、そういうこと。
侑士君と岳人君の説明で、今の言葉の意味が理解できた。
アルコールのせいでくらくらしてきた頭で考え、じっと景吾君のこと見つめる。
「まあどっちかって言うと、私は蔵より景吾君かな。」
「さすが、わかってるじゃねぇの。 、お前はいい女だぜ。」
「はは、お世辞だよ、景吾君。」
「てめぇバカにすんなよ。」
「いたっ何すんのさ。」
ばちこんっとデコピンをくらって手で押さえる。
杏璃の後ろから伸びてきた手がそのまま私の頭をぐわしと掴んでぐらぐら揺さぶる。
やーめーてー気持ち悪いよー。 酔ってきてるから頭重いんだよー。
「ごめんってー放してよー。 きゃー景吾君かっこいいー。」
「棒読みじゃねぇか。」
「ちょっ杏璃お助けを〜。」
「こら景吾君、めっ! 酔うとキス魔になるから襲われるよー!!」
「上等じゃねぇかアーン? 逆に俺様のキスでイカせてやるよ。」
「出たで、跡部のセクハラ発言。」
「うっせーぞ忍足。 セクハラ言うんじゃねぇ。」
侑士君の発言のおかげで景吾君の手が私を解放する。 …あー辛かった。
ぐわんぐわんする頭を何とか持ち直して姿勢を正す。
でもすぐに重い頭は隣の杏璃の肩にぽてんと倒れこんだ。 あ、あらら?
「おーどうした。 もう酔ってきたの?」
「んーそーみたーい。 杏璃ちゃんチューしよっかー?」
「それは嫌。 …ちょっ、嫌だって! 離れろ!」
「何でーチューしよーよチュー! チューチュー!」
「い・や・だ! 離れろ!」
「いーやーチューしてあげるってばー! 何で蔵はよくて私はダメなのよー! ねー景吾君、杏璃ムカつくー!」
「…景吾君に振るな!」
本気で嫌がる杏璃の身体が徐々に景吾君の方へと傾いていく。
それでもお構いなしに私は杏璃へと迫っていく、というか倒れこんでいく。 もはや自分を支える力はない。
いや、勘違いしないでほしいので言うけど、私レズじゃないよ?
ただね、チューがしたいの。 何かね、嫌がられると余計にしたくなるの。
しかも一度したいって思ったらするまで歯止めが利かなくなるから自分でもビックリ。 お酒の力って怖い。
「おーやれやれー! やっちまえー!」
「岳人、あんま煽りなや。 杏璃本気で嫌がってるやんか。」
「ちゃん、ちょっ、大丈夫? 顔真っ赤だよ?」
「杏璃かーわーいー! お肌すべすべー!」
「きゃー助けて咲! 悪乗りしてる! コイツもうダメ!」
「ダメじゃないよー! 元気元気ー!」
「……あかんなこりゃ。」
意識はある。 もちろんシラフ組みが呆れているのもわかっている。 まあ岳人君は私組かな?、なんつって。
でも一度テンションが上がってしまえばそれでお終い。 みんなの視線なんてこれっぽっちも気にならない。
もうほぼ景吾君に全体重をかけて倒れこんでいる杏璃に覆いかぶさるように迫っている私の頭に、
ふと、誰かの大きな手が触れてグイッと上を向かされる。 目が合ったのは、ニッと口端を上げて笑う景吾君。
「何だ、キスしてほしいのか?」
ぼーっとした頭で聞こえてきた言葉を処理していく。
んー私、キスしたいんだっけ? 何したいんだっけ? うん、キスしたいんだっけ。 うん、したいしたい。
虚ろな瞳に映る景吾君がもう一度不敵に笑みを浮かべると、ぐいっと私の頭を引っ張って自分の顔に近づけた。
おおっと思ったのも束の間、次の瞬間、私はされるがままに景吾君に唇を奪われていた。
「おおー!」
岳人君のテンションが上がりきった歓声がする。 わーい、拍手付きだ。
ぱっと離れた顔が、もう遠くにある。 景吾君はしてやったりな表情を浮かべて私を見ていた。
それでもぼーっとしている私を、先ほど私のチュー攻撃から逃れた杏璃が起き上がって元の体勢に戻す。
「アンタら! 店の中で何やってんのよバカじゃないの!?」
「しょーがねぇだろ? がキスしてほしいって言うからしてやっただけじゃねぇか。 なんなら杏璃、お前にもしてやろうか?」
「いりません!」
「くくっ、つれねーな。」
プンプン怒る杏璃を見て、景吾君が笑う。 そして私も笑う。 別に可笑しくなかったけど、笑いたくなった。
「、お前酔いすぎや。 キャラ変わってんで。 何で笑ってんねん。」
「可笑しくないのに笑いが止まらないー! 助けてアハハハー!」
「ちょっが笑うから俺も笑い止まんなくなってきたじゃんアハハハハハ!」
「はあ、岳人もか…。」
「…ちゃん、」
心配そうに咲ちゃんが私の名前を呼ぶ。 「大丈夫大丈夫!」と言ってみるけど、全く説得力のない言葉だった。
あー頭ぐらぐらする。 このままここで寝ちゃいたい。
「あーこらこら! 寝たらあかんで!」
「無理ー寝るー! ねーるー!」
「マジやばいかも。 そろそろ終電なくなるし、家連れて帰らなきゃ。」
「そーしよか。 こっちにも一人同じような奴おるしな。」
「おい跡部ー! 叩き起こせー! 寝るなー!」
「岳人の分際で俺様に命令してんじゃねぇ。 ったく、おい。」
「んーなーにー?」
机にごっつんこしたおデコの冷たさにうとうとしていたら、頭をポスポス叩かれたので顔を上げる。
すると景吾君が「店出るぞ。」と言ったから素直に「うん。」と言って立ち上がる。
さっき杏璃に迫ったせいで浴衣がこれでもかってくらい着崩れしていて、乱れまくっていた。 あら嫌だ。
「、眺め最高やで、セクシーやなー。」
「じゃなくてちゃん前! 胸元しめて!」
「あーホントだー! ブラ見えてるー!」
「いいじゃねぇかそのままで。 俺様を誘うためにわざと肌蹴させたんだろ?」
「やー違いますー! 景吾君のへーんたーいへーんたーい!」
ブラを隠そうと胸元に手をやると、後ろから景吾君に羽交い絞めにされて手首を掴まれる。
でもすぐに解放されたので私は浴衣の着崩れを適当に正し、振り返った。
どうやら景吾君は杏璃に背中をバシっとしばかれたようだ。 おー助かった。
「、景吾君に近寄っちゃダメ。 アンタと景吾君くっ付けとくと何仕出かすかわかんないから。」
「はーい!」
「よし、いい子。」
景吾君達が会計を済ませている間、酔いを醒ますため夜風に当たる。
元気よく返事を返すと、杏璃が頭を撫でてくれた。 わーい私いい子ー!
「あ、そだ! 電話しなきゃー!」
「え、誰に?」
「丸井君にー!」
思いついたら即行動。 「はあ?」という杏璃の声も聞かずに着歴から丸井ブン太の名を引っ張り出してきて通話ボタンを押した。
プルルルルルルルルと機械音が耳元で鳴って、会計を済ましてやってきた景吾君達と共に歩き出す。
今の気分は最高にいい。 下駄だけどスキップだって出来ちゃうんだよ。 ほーらほーら。
道路側を歩いていたら危ないって杏璃に腕を引かれはしたけれど、ルンルン気分で電話を耳に当てながら夜の街を駅に向かって歩いてく。
『…はいもしもしー?』
「あー丸井君元気ー!?」
『…………元気。 誰?』
「だよ! 酷いよわかんないのー!?」
やっと出たと思えば、テンション低めの声が携帯から漏れる。 ちぇー寝起きか。
『わかってるっつの。 何、お前酔ってんの?』
「酔ってないよー! 元気だよ!」
『酔ってんな。』
「酔ってないってば! 今ね、最高に気分がいいの!」
『そーいうのを酔ってるっつーんだよ。』
「むー丸井君、もしや寝起き? テンション低いよ!」
『…お前が高いだけだ。』
いーや、いつもより低い。 だって声掠れてるし。
あ、もしや私のせいで起こしちゃったのかもしれない。 それなら悪い事をしたのかも。
「もしかして私丸井君のこと起こした? だったらごめんねのチューしてあげる!」
『……うん、じゃあして。』
「してあげたいけど丸井君今いなーい!」
『今から神奈川来ればいいじゃん。』
「やっぱ無理です遠いー!」
『じゃあ諦めろぃ。』
何だか素っ気無い。 つまんないつまんないー。
ブーブーと頬を膨らませてみても、この表情が電話越しの丸井ブン太に伝わる事はなかった。
「今から終電乗って杏璃ん家帰るの!」
『ふーん、そ。 気をつけろよ。』
「だーいじょーぶ! 景吾君たちがいるから!」
『……景吾君?』
ちょっと間が空いて聞き返してきた丸井ブン太に「うんそう!景吾君!」と返事を返す。
すると隣を歩いていた景吾君が何も言わずに視線を私に向けた。 だからニヒッと歯を見せ笑っとく。
『誰?』
「えっとね、経済学部の人。 景吾君と岳人君と侑士君も今日一緒にお祭行ったの!」
『…へぇ。』
「えへへーあ、駅ついたー!」
『……………。』
駅を照らす光が眩しい。 ちょっとだけ目を細めて皆に続いて階段を下りる。
足取りが覚束なくなっているので、とりあえず一段一段慎重に前へと踏み出した。 少しでも気を抜いたら転げ落ちてしまいそうだ。
すると、いつの間にか電話が無言になっていたことに気がついて、「もしもし?」と問いかけてみる。
何だか今日の丸井ブン太、全体的に機嫌が悪いような気がする。 いや、気がするだけじゃない、かも…?
そう感じた時、ちょっとだけ頭の血の気がサッと引いた感覚がして、上がっていたはずのテンションが急に冷静に戻っていった。
「…もしもし、聞こえてる?」
『…おう、聞こえてる。』
「そっか、よかった!」
『もうすぐ電車、来るだろぃ?』
「うん、あと一分で来るって!」
『じゃあ電話切らねぇとな。』
「あ、うん。 …そーだね。」
『じゃあな。』
言われて、心臓がどくんと音を出す。
「あ、丸井く」
言い終わらないうちに、電話が切れた。
ツーツーと鳴る機械音が虚しく、耳に残る。 …あれ?
(……あれれ?)
どうしたもんか。 浮かない気分のまま電車に乗り込む。 何故だか、携帯は握り締めたままで。
とりあえず周りに不審がられてはいけないので、まだ盛り上がっている五人の会話の中へと飛び込んだ。
なんだかそうしないと、落ち着かなくて。 もっと気分が滅入ってしまいそうで。
幸いな事に、私の中にはまだお酒の余韻が残っている。 気が立っているし、テンションを上げる事は簡単だ。
簡単なのに、この胸の蟠りは一体何だろう。
「、電車内ではマナーにしなさい!」
「っ、ご、ごめんなさい!」
途端に鳴り出した携帯の電源ボタンを慌てて押す。 今すんげぇ杏璃の声のトーンにびっくりした。 心臓に悪いよ本当…。
アルコールの効果もあり、激しくドクドク言い出した心臓を手で押さえながら新着メールを開く。
その指は、何故だか少しだけ震えていた。
「あ、」
それは思いがけない人からのメールで、胸につっかえていた蟠りを溶かすのには十分な内容だった。
画面には、丸井ブン太の文字。 思わず目が見開く。
(ちゃんと酔い醒ませよバカ。)
熱い。 何が? 喉が。
痛い。 何が? 胸が。
何に対してかはわからなかったけれど、何だかすごく申し訳ない気持ちが沸いて来て、
同時に、すごく泣きたい気分になった。
でも、電車内で泣くことはできない。 今ならきっと、泣き上戸と思われるだけだろうけど。
すごく泣きたい気持ちをグッと堪え、私は小さく、本当に小さく誰にも聞こえないような声で「ごめんなさい」と呟いた。
(このメールは、明日返そう。)
今返事を返すと、この可笑しなテンションに任せてとんでもない返事を送ってしまいそうだから。
それだけは、やめておきたかった。 やってはいけないと、思った。
「、駅着いたよ降りるよ。」
そう言って引かれた手。
ギュッと握り締めた携帯電話。
不安が胸を締め付ける。
何に対しての不安か、わかんない。
それがまた、新たな不安を生み出していく。
だけど、時間は待ってはくれない。
私達の夏は、まだまだこれからが始まりだった。
私が楽んでるって事を、ただ君に知って欲しかっただけだったんだ。
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2009.03.06 執筆 サンキュウ・クラップ!
(そんなの、君がいい気になるはずが、なかったのにね。)